第5章 人権規定の私人間効力
1.人権の私人間効力
憲法の人権規定は、私人間にも適用されるか。本来憲法は国家と国民との関係を規律するものであるところから、憲法の基本的人権も公権力との関係で国民の権利・自由を保護するものであると考えられて来た。公権力が国民の人権を侵害するのを憲法によって排除するというのが憲法の人権規定のそもそもの由来だったからである。
しかしそれを理由に、憲法の人権規定は私人間には適用がない(無効力説という)と言ってしまうと、私人による人権侵害を防ぐことができず、国民の人権が十分に確保できない。特に今日では企業、経済団体、マスメディアなど巨大な力をもった国家類似の私的団体、社会的権力が生まれ、それらによって一般国民の人権が侵害されるという事態が生じて来たからである。そこでこのような「社会的権力」による人権侵害からも国民の人権を守る必要があるのではないかが問題となった。
2.人権規定の私人間への適用法理
それでは、人権規定は私人間にどのように適用されるか。大別して次の二つの考え方がある。
(1)直接適用説
私人間においても憲法の人権規定を直接適用するとする考え方である。
<批判>
私人間では私的自治の原則が基本原則であるのに、この立場では私人間の行為が大幅に憲法によって規律されることになり私的自治の原則が害される。
(2)間接適用説
民法90条のような私法の一般条項に憲法の趣旨を取り込んで解釈・適用することによって、憲法の人権規定を間接的に適用していく考え方である。この考え方が私的自治の原則を尊重しつつ、憲法の人権規定の趣旨を実現するものとして判例・通説となっている。もっともこの立場に立っても、規定の趣旨、目的ないし法文から私人間にも直接適用があるとされる規定については、憲法の直接適用を認める(憲15条Ⅳ項、16条、18条、24条、27条Ⅲ項、28条などはこのような規定である)。
学生時代の学生運動歴を理由に本採用を拒否された原告が、特定の思想を理由に拒否することは、憲法の思想・良心の自由を侵害するとして争った。人権規定は「もっぱら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない」(直接適用説の否定)。「・・・私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存する」(間接適用説の採用)。
そして、企業は雇用の自由を有し、「特定の思想・信条を有する者をそのゆえをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法ということはできない」(三菱樹脂事件 ―― 最S48.12.12)。
定年年齢を男子60歳、女子55歳と定めた会社の就業規則は、性別による不合理な差別を定めたものとして民法90条により無効とされた(日産自動車事件 ―― 最S56.3.24)。その他「昭和女子大事件 ―― 最S49.7.19」など参照。
第2章 居住・移転の自由
1.居住・移転の自由の意義
「居住、移転の自由」とは、自己の欲する所に住所又は居所を定め、又はそれを移転する自由をいう。
2.居住・移転の自由の法的性格
封建制度下、土地に縛られていた農民が解放され、自由に移転して労働者となれたことが資本主義経済の前提となったという歴史的沿革から、居住・移転の自由は経済的自由の一つに位置づけられて来た。しかし、人は移転の自由を通じてさまざまな情報を獲得し、人格を形成していくから、精神的自由権としての性格ももつ。
そこから、居住・移転の自由を制限する法令の違憲性審査基準としては、規制が経済的自由の側面にかかわるときは緩やかな審査基準でよいが、精神的自由の側面にかかわるときは厳格審査基準によるべきだとする考え方が出る。
3.海外渡航の自由
(1)海外渡航の自由の憲法上の根拠
一時的な海外渡航(外国旅行)の自由の保障の根拠はどこにあるか。
(イ)憲法22条Ⅰ項の「移住」の自由により保障されるとする説(判例・通説)
① 憲法22条Ⅰ項は国内における居住・移転の自由を、Ⅱ項は国外移動の自由を保障したものである。
② 憲法が永住を保障し、一時渡航を保障しないと読むのは不合理であり、移住の自由には一時渡航の自由も含まれる。
(ロ)Ⅰ項の「移転」の自由により保障されるとする説
「移住」は半永久的に我国から離脱することを意味し、一時渡航を移住に含めて読むのは不自然である。
(ハ)憲法13条の「幸福追求権」の一部として保障されるとする説
(2)海外渡航の自由制約の合憲性
海外渡航の自由を制限するのは旅券法である。同法は海外渡航には旅券の所持を義務づけ、「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」に対しては、外務大臣は旅券の発給を拒否できるとする(旅券13条)。これが違憲ではないかが争われる。判例は合憲とするが、海外渡航の自由が精神的自由権であることを考慮すれば、この規定は「法文の漠然性ゆえ無効」「明確性の原則」によって違憲とすべきだとするのが学説である。
元参議院議員帆足(ほあし)計氏がモスクワの国民経済会議出席のため旅券の発給を求めたところ拒否された。「憲法22条Ⅱ項の「外国に移住する自由」には、外国へ一時旅行する自由を含むものと解すべきであるが、外国旅行の自由といえども無制限のままに許されるものではなく、公共の福祉のために合理的な制限に服するものと解すべきである」
「旅券法13条の規定は、外国旅行の自由に対し、公共の福祉のために合理的な制限を定めたものとみることかでき・・・右規定が漠然たる基準を示す無効のものであるということはできない」(帆足計事件 ―― 最S33.9.10)。